時 代 塾 趣 意 書

 

 

  時代の限界の向こうへ:「戦後日本」の地平を越えて


―地方から日本を変えるローカルにしてグローバルな雑誌「時代塾」創刊の呼びかけ

 「戦後日本」の国家は今や、政治経済文化社会のあらゆる面で破綻しつつあります。それだけではありません。人々を支える社会倫理や教育理念といった内的精神的な次元においても信じるに足るものを失った「戦後日本」の危機はいよいよ深まっています。不幸なことに大衆芸能の活力の喪失と無残な衰退は、民衆の歌謡と真の笑いが消え去った茫々たる社会をもたらしました。そして国の未来がなかなか見えてこない閉塞状況のなかで、皇国史観に居直る不毛な病めるナショナリズムが混乱と空白、人々の心の空虚さを埋めるものとして無自覚無反省に登場してきているのです。

 「戦後日本」国家のこうした状況の中で私たちが何よりもまず取り組まねばならないのは、今日のこの破綻と閉塞に至るまでの明治維新以来百三十四年の日本近代史を新しい視点から徹底的に洗い直すことではないでしょうか。薩長官軍の王政復古のクーデターでいわれなく日本列島の征服者となった藩閥政権が作り出した天皇制官僚国家というモンスター、そして天皇主権を正当化するためにでっち上げられた「東の京都」TOKIOへの途方もない権力と富の集中、豊かな個性、由緒ある文化と歴史伝統をもつ各地方のミニ東京化と均質化、そして東京一極集中体制による内国植民地化。こうした国家体制の歪みと病理は戦後の新憲法下でも些かも変わらず、戦前の植民地拡張主義と対アジア侵略戦争に代わったものは公共事業の垂れ流しと「列島改造」の名の下になされた植民地的地域開発による凄まじい国土の破壊であり、その行き着く先は目下の国家的断末魔でした。この国の独特で威圧的な中央―地方関係は、たんなる中央集権の弊害といったものではなく、民衆総体の活力を見事なまでに中央国家へと絡め取る機制(レジーム)として働いた近代天皇制と深く結びついていると言わざるをえません。この明治維新から今日までの日本の歩みを大胆に問い直すことなくして、この国の未来が見えてくることなどありうるでしょうか。地方発の雑誌「時代塾」の第一の課題はまずこの点に置かれます。

 私たちの地方発の雑誌「時代塾」のもう一つの課題は、この国家をさらに歪め国際的孤児へと追いやる結果につながる皇国ナショナリズム再生の動きを葬り去り、それに代わる日本の新生VITA NUOVAに向けて、夢と希望と理想について語ることにほかなりません。日本の近現代史は、アジアの近代史というより広大なドラマの一部に他ならず、この国の東京集権の下での中央―地方関係はそのまま近代日本とアジアの関係に、さらには世界史的な北と南の関係に重なります。天皇制と東京は、「地方的なるもの、ローカルなもの」と「アジア世界」を共に切り捨て抹殺してきました。戦前は帝国として戦後はアメリカの同盟国として、日本の国家体制は地方とアジアを支配と隷属の対象にしてきました。しかし明治以来押し潰されてきたこの地方とアジアを結ぶ地平こそ、戦後を越えてこの国の未来を拓くべき「もう一つの日本」なのではないでしょうか。むろんこの地平を拓く道程は、決して平坦ではありません。事実としては地方とアジアはこの二世紀余りの長い歴史を敗北し続けてきたからです。この敗北の歴史を巻き返し反撃に出ることが私たちの使命感にほかなりません。東京主導の近代化にも拘らず、琉球から蝦夷地に至る日本の地方は今なお中韓両国を始めとするアジアと臍の緒でつながり、アジアの彼方には民衆が欧米のコピーではない近代化の途を苦闘しつつまさぐっている南の世界が広がっています。世界とはアメリカのことだと信じ込んでいる権力エリートたちの東京に、これ以上日本を代表させてはなりません。今こそ地方はアジアと世界に眼差しを向け、内なるアジアと外なるアジア、母なるアジアとの回路を創りだし、地方の力によって世界の中における日本の位置を変えていかねばなりません。地方、アジアそして南。もう一つの日本とアジアさらには南の世界との間に新たな環と絆が形成され、忘却されてきた内なるアジアの記憶が我々の中で再び目覚めるとき、この国は未来に向けて生まれ変わり始めるでしょう。そうした覚醒と新生に先駆けること、そこに地方発のローカルにしてグローバルな雑誌「時代塾」の使命があります。

 

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